才能を貪れハイエナ。
2001年8月20日今日は久しぶりにマジメな話を書こうかと思います。
世の中まじでいろんな人が溢れているわけですが、
その中で規模の大きめの(物理的な規模でなく)ことを
マジメに語ってる人は何人いるんだろうか。
その人達の99・99%は矛盾してることに気付いてない。
常識という、剥がれるなんて想像もつかない
皮膚のようなものに、僕等は縛られている。
前に日本人の感動は偽者だと言ったけど、
それには誤りがある。
「感動」というものはちゃんと存在はする。
でも「常識」から考えるとその「感動」はどうやら
矛盾してるように観える。
というか「感動」も剥ぎ取るべき「常識」の皮膚の一部だ。
簡単に言えば「ドラマの主役もむしろ悪役」なのだ。
例えれるなら膨大な量の例えを並べたいけど、無理なんで
一つ言うなら、僕等は「常識皮膚細胞」の中に
「無限の癌細胞」を抱えながら「生きて」いる。
「そんなもん皮膚癌だ」と言うかもしれないが、
要はそういうことである。
この話は一部(パーツ)です。
世の中まじでいろんな人が溢れているわけですが、
その中で規模の大きめの(物理的な規模でなく)ことを
マジメに語ってる人は何人いるんだろうか。
その人達の99・99%は矛盾してることに気付いてない。
常識という、剥がれるなんて想像もつかない
皮膚のようなものに、僕等は縛られている。
前に日本人の感動は偽者だと言ったけど、
それには誤りがある。
「感動」というものはちゃんと存在はする。
でも「常識」から考えるとその「感動」はどうやら
矛盾してるように観える。
というか「感動」も剥ぎ取るべき「常識」の皮膚の一部だ。
簡単に言えば「ドラマの主役もむしろ悪役」なのだ。
例えれるなら膨大な量の例えを並べたいけど、無理なんで
一つ言うなら、僕等は「常識皮膚細胞」の中に
「無限の癌細胞」を抱えながら「生きて」いる。
「そんなもん皮膚癌だ」と言うかもしれないが、
要はそういうことである。
この話は一部(パーツ)です。
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